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BTT2016の日記

美容師ってなんだ。お前らそんなんでいいのか?

美容師に一言以上物申す!38

「損か得なら得をとれ!」

美容師って職業は面白いよなぁ~、カットというデザインにたいして、客の足りないものを補うことでお金をいただく。綺麗を売る仕事であり、お互いWinWinの関係だ。美容室のあるべき姿は「お客様」「店」「美容師」の3つのバランスで成り立ち、構成させる。お互いがWinWinの関係を構築されているから、店も客も美容師も納得する。フムフム、なんとシンプルで分かりきった話なんだ。と思ったか?そうだよな。しかしな、しかしだぞ、世の中にはな、「WinWinの関係は存在しない」これが今日のテーマだ。何でだと思う?わからんだろ。わからんけど、わかることもあるか。オーナーがたくさんもらっているんだろ。俺ら(美容師達)から搾取しているんだろ。まぁそうだな。そう思うのはソイツの勝手だが、オーナーが美容師よりたくさんもらうのは、もらいすぎではないかぎり普通だ。これから同じようなことを話すが違うぞ。“価値観”だ。
日本の昔話にわらしべ長者というのがある。ある貧乏な男が観音様から「このあと、最初に手に触れたものを持って旅に出ろ」とのお告げを受ける。石につまずいて転んだ拍子に、1本のわらしべ(ワラ)を手にした男は、お告げどおりそのわらしべを片手に旅に出る。顔のまわりをうるさく飛び回っていたアブを捕まえ、わらしべの先に結びつけて歩いていると、小さな子どもを連れた女から「子どもが泣き止まないので、そのわらしべとこのミカンと交換してください」との提案を受ける。それを発端に次々と物々交換がはじまり、わらしべとミカン→ミカンと反物→反物と馬→馬と屋敷を交換していくうちに、とうとう男は大きな屋敷の主になってしまう。そんな物語だ。世界中にも似たようなおとぎ話があるというから「わらしべ長者」には価値に対する根本的な関係があるということがうかがえる。この物語からわかるとおり、モノの価値は人や状況によって大きく異なる。主人公にとってはたいしたことのないわらしべも、子どもをあやしていた母親にとっては、ミカンよりも価値がある。喉の渇きに苦しんでいた商人は、上等な反物と引き換えにしてでもミカンを欲しがる。ほかのモノとの交換が問題になると、あるモノとほかのモノとの価値の比較がされる。これがマルクスが言うところの交換価値だ。モノが交換の対象にならない限り、その価値はあくまでも主観的なものだ。マルクスはそこで使用価値という概念を持ち出している。アブをくくりつけたわらしべは、主人公にとってほとんど何の役にも立たない(使用価値ゼロに等しい)わらしべ。しかし、子どもを連れた女との取引においては、わらしべはミカンと同じだけの交換価値を持つ。世界をお金に換算すると?ここまでであれば、人々の価値に対する考えが歪むことはない。物々交換の世界は、あくまでそれぞれが感じる使用価値が尺度だ。ミカンに対する商人の使用価値とは反物に比べ100倍大きい。一方、貧乏な男にしてみれば、ミカンの使用価値より反物の使用価値のほうが100倍大きい。したがって、この交換によって、どちらも100倍幸せになれたはずだ。では美容室に置き換えるぞ。カットの価値は、日本では1,000~10,000円と10倍の差がある。中国でカットだけで14万とっている強者もいるが、日本の話をしよう。客が1,000円しか価値がないと考えているのか、美容師が1,000円しか価値がないと考えているのかどっちだ。 答えは簡単だな。美容師だ。美容師が自ら1,000円を選んでいる。物の価値を下げているのは美容師であり、生活を苦しくしているのも美容師自身だ。えっ、料金をあげると客が来ない?そうだな。もっと根本にある。低価格で美容師が働かなければ、低価格サロンは潰れる。ということは日本に低価格がなくなれば、客は必然と高いところに行かざる得なくなる。簡単だ。しかし、経営者も頭がいいから、「稼げるよ」と魔法の言葉で囁く。そんな誘惑に負けた美容師達。バカだよなぁ。料金が高いほうが、良質な顧客、豊かな生活、プライド、どれも保たれるのに。
大きな視野でみれば、どちらが得かくらいわかるだろ。